わたしのヨーガの原点、シヴァナンダヨーガ。

最近、ここから外を眺めることを覚えたチャイちゃん。

わたしたちの暮らしから、半径10メートル以内の世界。

お隣には、86歳と84歳のとっても仲良しなおじいちゃんとおばあちゃんが暮らしています。

チャイちゃんが外を眺めていると、おばあちゃんが話しかけてくれます。

おじいちゃんが川の橋を渡って来てくれて、チャイ子にちくわを届けてくれました。

はじめてのちくわ。

チャイちゃん、それ、おもちゃちゃうで。

 

わざわざ、チャイ子のためにちくわくれたり、話しかけてくれたり、

そうして私たち家族と、お隣のご夫婦との間に繋がりが生まれる。

 

自分の暮らしの身近なところに幸せのエッセンスは転がっている。

そんなことを想わせてくれた、今朝。

 

もくじ

ヨーガのアーサナの実践でわたしが体感していること

 

今朝のアーサナで残っていること。

『与えられる知識は、もうずーっと何千年も前から変わらずそこにある。

ただ、本当の意味での知性にしたり、自分の自信とするためには、

実践が伴わなければいけない』

 

繰り返してこそ、

実践してこそのヨーガ。

 

日に日にヨーガ愛が増している、最近のわたし。

「ヨーガってなんて楽しい道具なんだろう」と思うと心がワクワクするのでした。

 

実践してこそ。

 

なんの為に実践するのかを明確にして取り組んでみます。

 

ヨーガのアーサナ(ポーズ)をすると体をとおして自分自身と仲良くなる。

観察して現状を知ったり、受け入れたり。

そして溜まっていた感情が流れ始める。

体のなかに空間が生まれることで、プラーナ(気・生命エネルギー)が流れ始める。

爽快感が感じられ、解放感がある。

元気を出すこともできるし、自分に寄り添ってリラックスすることもできる。

 

よく言われることばたちだけど、

実践して、いまわたしが感じていること。

きっと、本で見た知識や誰かが教えてくれる知識よりも

わたしが感じているこの感覚が大事なんだと思う。

 

ヨーガの四つの道 〜シヴァナンダヨーガの示す、全てを統合すること〜

 

ヨーガにも種類がたくさんあって、アーサナ(ポーズ)にも種類がたくさんあります。

チャレンジしてもいいし、気持ちにゆとりをつくるためにできる。

選択の種類が豊富であることの素晴らしさが、いまならわかるような気がします。

 

ヨーガを始めた頃のわたしは、たくさんの種類があることがむしろ嫌でした。

「正しいものはひとつじゃないの?正しいことだけ教えて!」

そんな思いで、インターネットや本を調べたり、人に会いに行ったりして、わたしの関心があることから絞って、シヴァナンダヨーガをはじめました。

(これは、シヴァナンダヨーガが正解とか間違いとかいう話ではないです)

 

ヨーガのアーサナをとってもやり方や流派は多数あって、

ましてやヨーガって体をうごかすことだけでもない。

 

ヨーガの四つの道としては

カルマヨーガ(行動・無私の行為)

バクティヨーガ(献身)

ラージャヨーガ(アーサナやプラーナーヤーマ含む八つの支則。身体と精神のコントロール)

ニャーナヨーガ(知識・叡智)

があります。

 

そのなかで、わたしが意識をおいて暮らしのなかで実践している、

アーサナは、ラージャヨーガとしての実践。

唄うヨーガのキールタンは、バクティヨーガとしての実践。

 

シヴァナンダヨーガの本を最近無性に開きたくなって、

見つけたことばを引用します。

 

スワミ・シヴァナンダ大師は、ヨーガの道の中から一つの道だけを選んで実習することはできないと主張しています。

ここで示されている真実とは、ヨーガの各部門が他の部門全てと関連しているということです。

私たちはヨーガの全ての道を統合し、それぞれの道から最良のことを学び、自分自身の実習に組み入れていかなくてはなりません。

(出典:ヨーガの実践と哲学の要点)

 

 

脈々と受け継がれている伝統のなかで、シヴァナンダ先生のヨーガに対する統合ヨーガのなかから、本質的な部分を得ることができますように。

 

わたしたちの成長のレベルがどこの段階であっても、ヨーガを続けていると気づきをくれます。

 

なんだか、たくさんのアーサナや流派を知れば知るほど、

基礎に立ち返った時に(わたしにとってヨーガのベースはシヴァナンダヨーガ)

その恩恵をさらに深く感じられることを実感しています。

 

アーユルヴェーダのことや女性に特化したムーンサイクルヨガ、チャクラにフォーカスしたワークや、マントラ、キールタン、がっつり動くアーサナを取り入れる流派などなど。

それぞれの学びが、より本質的なシヴァナンダヨーガへの理解に繋げてくれている。

 

正しさを求めるマインドが強かった当時のわたしは、たくさんの学びの過程でシヴァナンダヨーガをジャッジしようとして、否定することもありました。

だからこそ、またシヴァナンダヨーガに意識が向いていて、

そしてきっと、

以前よりも向いている先は、本質を見ることができるようになっている気がしていて嬉しいです。

これも、「経験から得られるものこそが、わたしの知性になる」ということを実感した出来事のひとつ。

 

 

伝統を大切にしながらも、ユーモアのある、先生からの教え。

 

伝統が魂の輝きを消してしまうことがないように、

魂の輝きを取り戻すためのきっかけとなりますように。

 

出会う先生方から教えてもらう、たくさんの知識を

わたしのなかで消化して、本当の知性として得ることができるように

少しずつでも実践を続けていこうと思います。