生まれた「場所」について考える機会がぐっと増えたのは、マントラを学ぶようになってからだ。
マントラを教えてくれているときに先生からもらったことばは、たくさんある。
今でも大切なことばのひとつが、
『ヨーガは、なりたい自分になることをすすめていない』ということ。
『あなた自身を知りなさい。それを知るほどに、自分に必要のないものがわかってくる。他人を羨ましく思うんじゃなくて、最初から与えられているものを育むんだよ』と。
『それが自己啓発とヨーガの違いなんだよ』と教えてくれた。
わたしは、香川県にあるこんぴらさんの麓、琴平町で生まれた。
大学の時に岡山で出会った旦那さんと結婚して、岡山に住んでいたが、
最近、こんぴらさんのすぐ近くに拠点を移すことにした。
『栞や』というお店を夫婦でやっている。
(といっても店舗はいまはまだない。)
ひとり旅で来るひとのための宿をつくろうと動いてはいるが、ご縁あって、いまは栞(しおり)の製作・ネットでの販売をはじめている。
わたしが拠点を移した「場所」というのは、祖父がもっていた空き家だ。
移動を決めたことにもきっかけはあった。
廃ビルをセルフで改装したゲストハウスが、岡山の宇野というところにあって、そこが最高にわたしのツボな場所。
古い建物に手をかけて生まれ変わることのかっこよさと、
その場所があることで小さな町の新たな文化をつくっているところに心が動いた。
その価値観との出会いがなければ、祖父の空き家があると聞いても、どう活かしていけばいいかわからず、反応しなかっただろう。
言ってみれば、この空き家は、わたしが生まれる前から持ち合わせているものでもある。
もちろん所有者は祖父であるが、わたしを生んでくれた両親の、そのまた両親が繋いでくれているものに違いはないのだ。
そう思うと、『この場所で何かをしてみたい』という気持ちが強くなった。
最初は「改装して民泊を」と思っていたけれど、
それこそ所有者がわたしではないからこそのしがらみや、古くから土地に根付く価値観など、いろんな障害があって、すんなり実現はしなかった。
方向転換せざるを得なかった。
もういっそのこと、「やめてしまいたい」と思ったことが何度もある。
そうすれば、怒りの感情にも出会わずにすんだのだと思う。
だけど、なにに怒りの感情が発動するのかだって、なににワクワクするのかだって、「わたしを知ること」なのだ。
逃げ出したくなっても、それでもわたしに与えてもらっているものを見ることを辞めずに、今もなにかしらで前に進めているのは、最初のことばがあったから。
『他人を羨ましく思うんじゃなくて、最初から与えられているものを育むこと。そのために、あなたを知りなさい。それがあなたにとっての、いちばんの花を咲かせることになる。』
宿をつくるのはあくまでも手段。
わたしには
『人生という”ひとり旅” がより鮮やかで愛おしくなるきっかけになりたい。応援したい。』
という種があることを見つけられた。
(応援っていうとおこがましいかも。一緒に、「それいいね!」って言いたいというところ。)
いまでもたくさんの旅人が願いとともに訪れるこんぴらさん。
大切なことばと出逢う読書をきっかけに世界が変わることもあるから、
やっぱり読書も”ひとり旅”のカタチだと思っている。
願いの集まる場所にちなんで、手元に置いておけて、見るたびに気持ちを高めることができたり、買ったときの自分の気持ちに寄り添えるようなものが作れたら。
それを カタチにしてくれる絵描きさんと出会ったことがきっかけで、お守りのような “道しるべ” としての栞がうまれていた。
持ち合わせているものと、わたしの性質が合わさると思いがけないものが生まれることがあって、それもまた楽しい。
そこには、またパートナーの存在も重要だと痛感している。
わたしがこんぴらさんの麓である琴平町で生まれたこと。
いま、サンスクリット語のマントラを学んでいる環境にあること。
インドの文化やインドの哲学にはなんだか惹かれること。
それらがわたしのフィルターを通すことで、何かしらの新しいカタチではじまっていったら楽しそうだなぁと思うし、自分のことなのに、どうなるのか様子を見守っておきたいような気持ちさえしている。笑
マントラのことも琴平での活動も、喜びをもってやっていけたらいいなと思う。
わたしたちに与えられている種からでてくるカタチは、そのたびに自由に変わっていけばいい。
なかなか「地元」というのは、わたしにとってはこれまでハードルの高い場所だったけれど、ここでの展開を楽しめそうな予感がしている。