発音の基礎からマントラを学ぶ機会に恵まれました。
わたしはもっぱら日本語を話すので、英語やヒンディー語はわからず。
学びたい、とおもったときに、学びたいと想える先生に日本で出逢えたことは幸運だなとおもう。
(ややこしいけど写真はタイです。まだ基礎もわかっていない頃だったけど、マントラをたくさん唱えたわたしにとっての神聖な場所。)
口伝で教えを繋いでいくことに重きを置く”中身のある教え”というところに
現代にはないキラリと光る魅力を感じつつ、
それは発せられた音を「録音できない」という、ある意味練習には非効率におもえる制限がかかる。
だから練習を、なんどもなんども繰り返すしかない。
効率ということは除外された世界。
やるしかない世界。
途中嫌になったり、なんでやってるんだ?みたいになることも
先を行く先生たちはお見通しだから、先に決意表明してはじめることが大切なんだと教わった。
あとね、いまはだれでもお金を払えば学ぶ機会が与えられる。
だけど、昔は選ばれた人にしかその教えを受ける機会は与えられることはなかった。
いまはお金を払うことで学ぶ機会はもらえるけど、
受け手にその準備が整っているかどうかで染み込むものはまったく違ってくるんだと教わった。
学ぶ側に準備ができているのかが、試される。
「なんどもなんども、なんども」という、なおさんの言葉がこれから始まる道の長さをあらわしていたなぁ。
でも同時に、あたたかさも、辛さも含めたいろーんな感情がこもった響きだったなぁ。
それが今回2回目の学びのなかで、一番残ったマントラだったかも。
『なんどもなんども、なんども。』
マントラの発音の仕方も含めて
それ以外の学びがとっても多くて、あらためてわたしはこういう世界が好きだなと思いました。
一人では無理だー。仲間のみなさん、どうぞよろしくお願いします。
* 学びの機会をつくってくださった、なおさん&こまよさん。
まっすくに学びを届けてくれる姿勢と、愛情たっぷりなところをインターネット越しに感じて迷わず逢いにいきました。
お二人の開催しているクラスはこちらでチェックできます♩
そうだ!口伝で受け継いでいるのはアボリジニもそうだった。
ディジュリドゥの吹き方は全部口伝なのだそう。
それからインドの音楽や舞踊も含めてインドの芸術文化は、すべて師から弟子へと受け継がれるものだそう。楽譜もなく録音もノートもダメだということもあるそうで、なんども繰り返して習得するから、非効率なようでめちゃ効率がいいのだと教わりました。
伝統芸能である狂言も口伝。
伝統あるもの、基礎をやることに興味がぐんぐんと湧いております。
なんどもやるのみ。ヨガもおんなじです。
やらないと見えない世界だからこそ、美しいのだろうなぁとぼんやりおもいます。
いやぁ、やっぱり私自身、試されているね。(笑)
5月4日に、はじめてマントラの発音の基礎を学んだ日は、ちょうど一粒万倍日。
これからわたしたちのなかに蒔いた種が芽を出し、花を咲かせていけますように、と月の力をお借りできるようお願いをした日でもあります。
どうかこれから進む道が、学び多き祝福多き道になりますようにー*