今年の太陽礼拝108回では、
ハルモニゥムとマントラの音を担当させてもらいました。
わたしは『音のみでの太陽礼拝108回』という、初めての試み。
もくじ
太陽礼拝の動きと音の力で生まれたもの
108回をおおきく3つにわけると、苦しいのは、
おそらく最初の36回。
参加される方はもちろん、ガイドする側もそうだと思う。
最初はやはり、身体や頭のなかの声をめいっぱい感じる。
「動きはこれで合っていたっけ?」
「腕が痛くなってきた、かも。。」
「頑張らないって決めてたけど、意外と余裕かもしれない〜」
「あー、はやく終わりたい。。」
などなど、きっと人それぞれ。
直也先生も、
「『108回の太陽礼拝に、自分はなぜやろうとおもったのか』
そこを大事にしてくださいね。」
とはじめにおっしゃっていた。
わたしの音は、
ちょうどキツくなるあたり、30回目のあたりから入ろう、と思っていた。
ひとりひとりのなかにたくさんの感情や身体の声が聞こえはじめて、
直也先生のガイドも馴染んできたあたりで。
30回目のあたりから、
もうすでにグループとしての一体感が生まれてきている。
わたしも、呼吸を整え、身体も整え、みんなのグループエネルギーに混ざる準備を念入りに。
というか、もう自然と、「ちゃんと整えて、のぞませていただきなさい」というような空間がそこに生まれていた。
そこに流れるみなさんの呼吸を含んだような、ハルモニゥムの音が鳴った。
太陽礼拝を繰り返しおこなっているみなさんの意識が
ぐっと中心に集まるのを感じた。
それにあわせて、太陽を讃えるマントラをはじめ、いくつかのマントラや
わたしのなかに在る音を唱えていった。
音の在る場所をこまかくみていて、それらを引き出されていったような感覚だった。
(その感覚に気づいてしまったとたん、その感覚が離れてしまい、悔しかったけれど。音をとおして、ただそこに起こる出来事をもっと信じようとおもう。)
たくさんの音がきこえ、生まれ、消えていった。
みなさんの、止まることのない太陽礼拝の動き。
視線の先をみつめる真剣な目、マットにおちる汗。
直也先生の、エネルギーを回し続けてくれている声のガイド。
そこに在る音、マントラの音、ハルモニゥムの音。
ふいごで送り込む風、呼吸。
回数を重ねるたびに、その波は合わさり、大きくなった。
太陽礼拝はただのストレッチではなくて、
『礼拝であること、祈りであること』
そこにいたすべてのみなさんと、
一瞬でも実感をとおして共鳴することができたとおもう。
この日、喉の調子がよくなかった直也先生。
学びのパワーと感謝そのものである直也先生の声は、みなさんにちゃんと届いていた。
1時間15分ものあいだ、休むことなく、声を届け続ける。
それは、直也先生がヨガと日頃から真摯に向き合っているからこそ、こなすことのできた108回のガイドだとおもう。
こんな時間が、年の最後に過ごせることに、心から感謝をしている。
巡る役割
「鳥肌がたって、涙が溢れたよ」と太陽礼拝108回がおわったあとに
涙を浮かべながら わかちゃんが駆け寄ってきてくれた。
わかちゃんは今年、シヴァナンダヨガのTTCを卒業していて、
今回の太陽礼拝でも真摯に向き合い、和ませ、みんなをぐっと引っ張ってくれた。
そういえば、数年前、わたしもなおや先生にそんなようなことを言ってもらった覚えがある。
「さなえさんが、先頭に立ってやってくれることで、みなさんの意識を引っ張ってくれました」と。
当時の自分ではそんな実感もなかったし、わたしがやっていなくてもみなさんはできたと思う、なんておもったりしてた。
だけど、今回のわかちゃんの在り方をみていると、
本当にそうなんだなぁとおもう。
みんながそのままの姿でいるだけで実は誰かの支えになっていて、
その役割はまた、ころころと入れ替わっている。
巡っていく。
それが自然な形なんだろうな。
音の太陽礼拝、ぜひまたやりたい、と思える
そんな太陽礼拝108回でした。
より音に瞑想できるよう、精進したい。
この機会に、心から感謝をします。
ありがとう。