ことば だけのやりとりの限界

本当の意思疎通は、

ことば(記号としての単語)のなかにある微妙な意味合いの違いを

互いに共有すること。

 

 

ひとつのことばには、

それぞれの経験による認識や感覚、印象の違いが

グラデーションのように重なっている。

そのことに気づいていくこと。

 

ことばを自分の解釈だけで受け取らないこと。

 

 

一見同じことばを使っていても、認識の違いで、

見ている世界はまるで違う。

 

 

その反対もある。

 

一見違うことばのなかに、

同じ感覚を認識することはできる。

 

 

記号としてのことばには、「 誰かが定めた 定義 」がある。

 

どんな定義も、その定義を絶対とする限り、

境界線をなくすことはできない。

 

 

押しつけない。強要しない。ただ気づいていくだけ。

 

自分が感じてる感覚こそが、オリジナルの原石。

 

 

ことばは大好きだけど、

ことばにおさまらない感覚が人のなかにはある

 

 

人のなかにある、それぞれの色。響き。

違うところ。同じところ。

 

 

どんなツールを使っていても、

根っこを互いに認識して共有する。

そしたら、境界線はなくなるんじゃないかなぁ。

 

 

そんなことが浮かんできたひとりの電車の時間。

移動してるといろんなものが整理されていく。

ひたすら書き留めた。

 

 

添えた写真は、2/16 に開催された『タビサキ@宇野港』で、

絵描き 幸山将大さんの ライブペイント に参加をしたときの。