わたしがわたしであること

『わたしがわたしであること』

9月に参加したマントラリトリート以来、わたしの真ん中にあるもの。それをずっと見ています。

 

わたしはさそり座ということもあって、10月10日に起こる星の動きにも、アンテナを張りつつも、

日々、目の前に起きてくる出来事と向き合っていた。

本当に神さまはいろんなパターンで、いろんな流れでわたしにお知らせしてくれるんだけど、

一撃をくらったようにも見えて

それは必要な一撃だったと受け入れる力が、

わたしのなかに育ってきたように思う。

 

ほんの数年前に読んだことのある本に書かれていることばの、味わい方が変わっていること。

確かに以前よりも、わたしの真ん中へと浸透していく感覚。

逢いたいと思うときに、そのひとのエネルギーを近くで感じられたりすることは、わたしにとってのお護りで、

それは、本当に何も特別な力じゃないんだろうと思う。

だって、わたしにだって、でき始めているんだから。

 

わたしを生きるということの恩恵は

とてつもなく深いものなんだろうな

ということはわかり始めた。

 

痛みも闇も、、強烈に。

だけどそれを「見たい」と望んだのは「わたし」

それを「見るだけの力をください」と望んだのも「わたし」

 

わたし一人頑張っている気になりがちだけれど、

わたし一人でやってきたことなんて

そもそも何もなかったのかもしれない。

 

 

今日は

なんだかラブレターを書いているような気分。

 

髪を切りました

こんにちは!サーシャヨガのさなえです。

 

今日は、髪を切りに行きました。

切るか、切らないか、数日悩んだ、、、

 

バッサリ30センチ、切ったよ!

わたしの3年分の感情や執着にもさよならした気分です。

 

切る前の写真、直近はこれ。めちゃ笑ってる。

 

なんだか、髪が長いわたしに、自分でものすごく違和感を感じていたここ最近。

ヨガの先生になることを決めてから、毛先を整えることはあっても

ずっと伸ばしていました。

こだわりと、憧れから。

 

なんというか、やっぱり女神のような女性に憧れていて

髪が長くて、直感がさえていて、どこか不思議な魅力のある女性に惹かれることがこれまでとても多かった。

 

誰かになろうとして外見から入ることが多いわたしは、

「よし、じゃあ髪の毛のばそう!」となる。笑

そして、外見がすこし憧れの誰かに近づくことで

わたしもおなじパワーをすこし得たような気がしていました。

 

「髪の長いわたし」にもひととおり、満足したのかな?

 

最近は、

「あれ?わたし、誰かになろうとしてる?」

「なんで伸ばしてるの?」

みたいな違和感。。

切ることで昔のわたしに戻ってしまうような気がしていて、

なかなか切ることができなかった。

 

6月に参加した女性のためのリトリートで、女性の美しさを知ることができて

(髪の毛が長い、短いの次元ではない(笑)、女性のもつ美しさ・母なる存在)

9月に参加した、マントラリトリートでは、

「わたしはわたしと一緒にいたい」という願いに気づき、

外見も中身も「わたしでいたい」と強く願うようになっていた。

 

「理想のだれか」になったり、

「誰かが求めるだれか」になってみたり。

いつのまにか受けている外側からのオーダー。

その一方で、自分でも自分を制限している。

「わたしはこうありたい」というカタチにこだわってみたり。

それが本来の「わたしである」ことから離れてしまうことであっても、そう願ったりしてしまう。

 

わたしの長かった髪が象徴していたものは、

「なにかになろうとしていた結果」だったんだとおもう。

(「髪の毛が長いひと」のことではなくて、わたしの場合のことね)

そのことに気がついてからは、無性にバッサリ切りたくなったんだろうなぁ。

 

これから伸ばすかもしれないし、しばらく短いのかもしれないけど、

それは「わたし」が決めればいい。

ひとまず、古いエネルギーとバイバイできたことはとってもよかった。

 

わたしの髪のお話に、付き合ってくれてありがとう。

はぁ、すっきり^^

いちじくの実。

みなさん、こんにちは!

サーシャヨガのさなえです。

 

9月に入り、ガラリと空気が変わりましたね。

祖父母がいちじくをたくさん作っていて、今まさに収穫真っ只中なのでちょこちょこお手伝いへ。

香川県のまんのう町。

朝晩と昼の気温差が大きいほど、いちじくが赤く綺麗に色づく。

人間の都合、

たとえば、

「平日より土日にたくさん実って欲しい」

とか

「もっと大きな実が欲しい」

とか

そういったことはまったくお構いなく、

自然のままの恵をありがたくいただく。

採っても採っても、毎日綺麗に実ってくれるいちじくを目の前に

『これはもう神さまからの恵やわ…』

と思わずにはいられなかった。

それに、

こんな感覚をわたし自身が感じるようになっていたことにも感謝の気持ちが湧いてきた。

バクティヨーガの道に導いてくれたヨガの繋がりが

全国にあることが奇跡のことのように思えて。

たくさんの人の顔が浮かんだ。

ヨガの道って、本当に人それぞれ。

柔軟に、その人の段階や性質に合わせて、どの角度からでも深めていけるもの。

そして、歩んできた道が、必ずその人の支えとなってくれる。

 

「好きなものがわからない」

「やりたいことがわからない」と悩んでいた頃のわたし。

この期間は本当に長かった。

そこから抜け出したくてがむしゃらに走り出してからも、

少し前まで、

『自分の軸があって、凛としている人』にずっとずっと憧れていた。

 

やりたいことや芯のようなものが見つからなかったのは、

自分の軸ではなく、

他人の軸で示してくれるもののなかだけで選んでいたからなのだろうなと、ふと思う。

わからないなりにでも、動いてみて、少しずつ知らない世界を知って、

わたしにとっての心地よさを知って、自分のなかをのぞく勇気をもって。

その繰り返し。

ヨガは続けてみなくちゃわからない。

もっともっと知らないわたしがたくさんいて、気づいていない闇も光も同時にたくさんあって。

きっと、ずっと続いていく道。

だから、面白いのだけど。

ヨガをはじめてから、たくさんの先生や仲間に出会い、学びの機会をいただいた。

「自分の意志で選んで動いてきた」と思ってしまうことも含まれているけど、

与えてもらっているのだとおもう。

これも、全部、『神さまから与えていただいたもの』。

 

ヨガの生徒さんに、わたしがこれまで与えてもらったのと同じ道を示しても

全部が全部「よかった!」と思ってもらえるのかはわからない。

だから、あくまでわたしは、生徒さんをずっとずっと自分のもとに置いておきたい思いは一切ない。

自由に経験して、その人だけのヨガの道を歩んでいくものだと思っている。

その過程で、関われて一緒に楽しいことや喜びの時間が共有できたら幸せだなぁと思う。

なので、みなさん、自由にヨガしましょ!

こんなにも宇宙は寛容で、両手を広げてくれている。

 

梅雨の晴れ間のよる。

いつかの秘密のビーチからの景色。

この景色にひっぱられるように

吸い込まれるように見入っていたけど

少しずつ色が変わっていってしまう。

どうやっても変わっていってしまう。

 

岡山は梅雨入りしていても

今日みたいに晴れることもある。

 

そんな今日は「です、ます」で書くよりも

坦々と書くのがぴったりな気分。

 

 

午後からは初めて足をはこんできてくれたお客様と

みずからの声とむきあったり、からだと向き合ったりするボイスヒーリングの時間。

 

いつものわたしのおうちが、

『なんだか異空間みたいに心地よかったです』と言ってくれた。

 

ちょっとの見方、ちょっとの意識で

見える世界が変わるから不思議。

わたしのいつもの目線を

チャイ子目線にするだけでも世界はがらりと変わってしまう。

 

シンプルに

声のこと、ヨガのこと、

わたしが感じていること、続けていること、変化していること

そんなことを

もっと上手に伝えていけたらなと。

 

ついつい熱量があがってしまう。

楽しい時間だったなぁ。

 

今夜も、夜の風が部屋に入りはじめる時間になって

お昼の蒸し暑さはどこへやら。

 

夏の夜のにおい。

近所のお散歩へ、いってきまーす。

 

来週、海の日の夜も晴れますように*

** 星空ヨガ **

20時からのヨガはお席が残りわずか。ありがたいです。

事前予約をおすすめします◎

ちなみに、星空ヨガというタイトルだけど、

夕方の17時、18時くらいも空のグラデーションが綺麗だと思うので、

お好みにあわせて選んでくださいね。

ぜひお待ちしていますね*

素敵な夜まで…《5日!》

7/17(祝・月)開催 *☆ 星空ヨガ ☆* ~ 夏空と、瀬戸の海に溶けるカラダ ~ (夏の「UNOICHI」内イベント)

ちなみに、写真の秘密のビーチは

星空ヨガも開催される、宇野にある。

宇野。UNO。UNOICHI。

 

 

プライベートヨガセッションで共有したいこと

紫陽花をはじめてみたチャイちゃん。

いそいそいそ…

クンクン。

(ムシャっとする前で阻止)

さてヨガしますかなーというところで

足元で一緒にごろりん。

ちょっとポージングかえたりもする。

可愛い可愛いチャイ子ショット、いかがでしたか?

可愛くて仕方がないです。

猫さんと一緒に暮らしている家族は、みんなこんな気持ちなのかなぁと心配になったりもします。

ヨガと出逢って丸3年で気づいたこと

 

さて、おうちヨガのスペースですが、プライベートセッションに力を入れていきたいと想っています。

 

立ち止まって愛をたくさん与えてもらって気づいたことがあります。

それはわたしはこれまで

「絶対的に正しい知識」や「これだけをやっていればいい」という何かを求めていたのだということ。

その何かを持っている、何者かになろうとしていたということ。

つまり、外からの『許可』を欲していたのだということ。

 

気になること興味のあること、ピンとくる感覚にしたがって

これまで学んできたことや体験したことのなかで

まるで魂が震えたかのように涙があふれてどうしようもなかった瞬間を振り返ると

「外からの許可なんて、いらないんだよ」と教えてもらったときでした。

 

そのときにはわからなくても

後で気がつくことの方がどうしても多くなってしまうけれど。

 

頭ではわかっていたような気になって、口でもそう言ってしまうけれど

本当に体験として

「まわりからの許可なんていらない、本当にそうなんだ」ともう、そう感じるしかないとき、

その瞬間に居合わせているということはなんて幸せなことなんだろうとおもう。

だからこの体験は、瞬間であっても余韻がのこる。

 

幸せの余韻はたしかに残っていたはずなのに、また忘れてしまう。

だけどそれは悪いことではないんだと思う。

そしたらまた戻ればいいだけだ。

戻った時の感覚をわたし自身が知っているのと知っていないのと、その違いはきっと大きいのだと想う。

戻り方がわからなくなったら、そのツールを与えてくれる人はたくさんいる。

わたし自身でできるケアをして、それでも足りないってなったら、信頼できるだれかの力をお借りする。

 

わたしだけで解決できるものを手に入れてないなんてまだまだだ、と

また誰かからの許可を求めているとキリがない。

それでいいじゃん、と想っているところです。

 

プライベートヨガセッションで共有したいこと

みんなが戻った感覚を大事にしたときどんな世界が待ってるんだろうとちょっと想う。

でもわたしにとっては、大きな世界をみるのはまだちょっと早い。

 

わたしのおうちヨガスペースに来てくれる方とのセッションを通して

「わたしに戻るための自己治癒力を高めること」

「誰かからの許可は求めなくていい

あなたのなかにある感覚を誰かがつくった良い・悪いに関係なく、認めてあげていいんだよ」

ということを軸に向き合っていきたいと想う。

 

それが自分と繋がるということ。

 

ヨガと出逢って丸3年。

なんにも好きなものなんてないと想っていたわたしにとって、興味のあることが広がっていたことに驚いた。

たくさん瞑想もしたけど、迷走もした。。笑

たくさんの先生や仲間に出逢ってサポートをしてもらった。

枠をくれることで、枠が必要ないんだということも教えてもらった。

 

わたし自身が「誰かからの許可を求める性質がある」からこそ、

ほかの何かや誰かに憧れるあなたのことにも共感できる。

 

結局のところ、わたしはわたしに与えてもらったものでしか誰かには与えることはできない。

 

わたしの好きなツール、

  • ヨガ (体を動かすアーサナ、呼吸法、瞑想)
  • アーユルヴェーダのアプローチ
  • ボディワーク・踊り
  • 発声・ことばあそび
  • サウンドヒーリング
  • マッサージ

などを通して、

プライベートセッションでは

『自己治癒力を高めるエッセンス』

『あなたがあなた自身を許可してあげられるようなエッセンス』

を混ぜていけたらいいなと想っています。

 

1回ごとに一緒につくるセッションの空間。

そのときのわたしが持っているもので、そのときのあなたにとって必要なものを提供できるよう、全力でさせていただきます。

即効性は、、ちょっとお約束ができません。。ごめんなさい。

だけど、これから一緒に蒔くタネにはきっと芽がでるということもわかっています。あなたが成長する過程で、「あの人の提供するこんなエッセンスがあったらいいかも」ということは、わたしの経験からお話もさせてもらいます。

(決して勧誘ではないのでご安心を)

きっと丁寧に時間をかけて気づくものは、あなたを守ってくれるはず。

だから、のんびり気長に楽しみましょうね^^

どうぞ、一緒にお付き合いくださいませ。

 

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お花のように

ことばにならない。

「ありがとう」を伝えることが精一杯。

ほかに言葉を探そうとしても

付け足すたびに本当に伝えたかった想いからそれてしまう。

 

「ありがとう」

「大好き」

 

このことばに心がこもると

それはそれはパワフルなことばだったんだ。

 

 

いまもずっとこのときの瞬間を想うとドキドキしてしまう。

宝物と呼べる時間になった。

 

女の子だけの時間で過ごすリトリート。

 

わたしはわたしの種のようなもの、性質をひとつだけ見つけた気がする。

 

わたしの見つけた性質は、自分にとっては欠点に想えるものだった。

これまでのわたしは綺麗なものばかりを見ようとしていた。

 

ようやく隠していた部分に光があたりはじめたのかもしれない。

 

これまでわたしだと想っていたものが実はそうでなかったとき、

それに気づいてあげるというのはこんなにもスカっとするものなんだろうか。

涙が溢れるものなのだろうか。

 

自分の性質をどう活かしてあげればいいのか、いまは正直わかっていない。

 

だけどそれがわたしなんだね。

 

認めてあげること

そして惜しみなく

わたしを愛してあげること

 

そこからはじめてみます。

 

与えられた性質を、ギフトとして

いつか花を咲かせてあげられるといいなぁ♡

 

ありがとう。

 

今年1月につくった『ビジョンマップ』に取り組む時期。

 

雨の日。

今朝の唄うヨガ・キールタンのレッスンにて、チャイ子が玄関でお出迎え。

チャイちゃん、だんだん人間に慣れてきた模様。

 

雨音のなかに声を混ぜて重ねる気持ち良さ。

しっとりとした湿った空気には

少し内側のエネルギーをつかう発声で、からだに少しだけ熱を加えて。

 

sahsya yogaでの3人でキールタンの時間は

穏やかで、楽しくて、きっとわたしが一番くつろいでいた。

幸せな時間でした。

 

Facebookの個人のプロフィールの写真を、こちらに変えました。

いまのわたしにしっくりくる写真に変えるだけで、落ち着くのは

きっと余分な肩の力は抜いたらいいよーというサインなのかも。

「変わっていくこと」を自然なカタチで受け入れられるように思えます。

 

ちなみに今まで使っていた写真はこちら。

もう1年以上も前だからねー。バリで撮ってもらった一枚でした。

右手にゴムをするところは変わっちゃいない。。(笑)

 

写真を変えたことが影響しているのか、雨が影響しているのかわからないけど

1年前には気づいていなかったわたしの世界が

少しずつ、あれ、これかも?みたいな感じ。

 

この感じ、なんだっけーーと思っていたところ、、
そうそう、これー!

今年の1月につくった、わたしの『ビジョンマップ』。

当時も、こんなに女性を押したビジョンを作っていました。

 

いま、ここに取り組む時期!
それが、わたしにとって必要な時間なのです。

 

あさって9日は、射手座の満月。

女性であるわたしをまるごと愛するためのワークに3日間参加してきます。

 

1月にビジョンマップをつくり、

3月にワークに申し込みをして、

6月にまさにいま!と感じるタイミングで参加できること。

必要なタイミングをしっかり掴んでいるなと感じる瞬間って、

わたしにとっての喜びのひとつです^^

 

サントーシマ先生のムーンサイクルヨガも女性のために必要なことを教えてくれた大切なきっかけだったなぁ…

さてさてどうしよう!考えるのが楽しくなってきました。

 

憧れる女性

 

1年半以上、ヨガクラスに通ってくれている方から、

以前わたしがお話したことがきっかけで

「気持ちに余裕ができ、暮らしが変わりました」と教えてもらいました。

 

わたしが学んだことがこうして誰かの役に立っているということを直接聞けるのは素直に嬉しいなぁと思います。

わたしは口下手なところもあり、なかなか伝えることが苦手なのですが、

それでも伝えたいなと思うことはことばを見つけて伝えています。

 

受け手側の気持ちも手伝ってくれて、わたしのことばが

なにかしら届いてくれていたんだなぁ。

 

プライベートでお互いがゆっくり心を開きながら

お互いのことをおもって過ごす時間の積み重ね。

こちらこそ、たくさんのことを学ばせてもらっています。

ヨガの「生徒」でもあるわたし。

憧れる女性はたくさんいて。

 

ようやく気づいたことなのですが、

憧れる女性、美しい女性は

みんな自分の居場所で輝いているということ。

 

なにかになろうとするのではなく、

その人にとってとても自然なことで表現をしている。

 

たとえば、それが踊ることだったり、

歌うことだったり、

先生だったり、オーガナイザーだったり、

コラムニストであったり、、

表現のカタチは本当に様々。

 

わたしは自分を表現するために

『何かにならなければ』というほうにばかり意識がむいていたけれど

そうじゃなかった。

 

「現実のカタチ」にするために、

無意識でも意識的でも自分の意思で決断し、

行動して、この世界に創り出している。

 

その人が何をやっているのか、それ自体が重要なのではなく

その凛とした姿勢や在り方にとても惹かれているのだということ。

 

『幸せを外にばかり見つけようとするのではなく

内側に見つけなさい』

というのはヨガでは本当によく言われているけれど

まさにわたしが外ばかり求めていた。

 

体験や実感をもって気づかせてくれることは

本当にありがたい。

いくら本を読んで知っていたつもりであっても

自分のなかに、入っていないことはたくさん。

 

ひとに出逢うことでわたし自身をみることができる。

だから目の前に現れるひとは、みんな神様なのかも。

 

 

 

『音楽が生まれる前の音楽会』を終えて

 

2017.06.04『音楽が生まれる前の音楽会』でした。

会場となった、OM YOGA studio A yusの目の前に広がる小麦畑。

聞こえてくるのは鳥の声や虫の声。

風の通りが もんのすごーく気持ちいい。

 

振動とリズム。

静と動。

ディジュリドゥ×ハルモニゥムは、ぐっと内側に入りこんで感じる「静」

ドラム×ハルモニゥムは、エネルギーを高めて、解放する「動」

 

決まったリズムや楽譜もない、シンプルに削ぎ落とした世界の表現。

今回、

わたしは「声」もつかうことになりました。

 

キールタンでは唄っているし、マントラの練習したり、

ヨガクラスのガイドをしたり、と日常的に声はつかっているけど、

完全に即興のなかで出来るだけシンプルに声をいれていく経験ははじめてでした。

即興で声を入れること、

いつかやってみたいなぁと思っていたこと。

こんな機会が突如として生まれてくるんだから、わたしのなかでひっそりと心を決めて引き受けてみた。

 

 

「いつかやってみたい、試してみたい」と思っているけど

『まぁまだ試さず、まだ自分の中の可能性として残しておこうかな〜』

みたいな感じ。きっと誰しももっている、あの感じ。
ことごとく絶妙なタイミングで、挑戦してみる機会がやってくるのです。

 

 

すごくドキドキした。

みんなが耳を傾けている。

きっと、全部全部つたわってしまう。

 

音楽や音って、ほんとうに自分は丸裸みたいなもの。

なにも隠せないし、取り繕うこともできない。

 

気持ち良さも半端じゃないが、

落ち込みも半端じゃない。

音にはそんな世界が詰まっているような気がする。

 

イメージで「わたしだな」と思っていたものが

実はわたしじゃなかったりする。

マントラの勉強をはじめるときに先生が、

『自分のみたくないところと向き合う覚悟は必要。

それでもその向こうの宝物をさがしにいく』

と言っていたことを改めて思い出す。

 

今回、ドラムを担当してくれた、マルチパーカッショニストのTariさんにも、

「音楽のことをやっていると『自分がそのまま出る』ということに、誰しもぶちあたる。それでもそれを受け入れていく。

セーブせず、あふれるものをやったらいい。

それでお客さんに何を伝えたいのか、どうなってもらいたいのか、ということも意識をむけておく」

と教えてもらいました。

 

どんな機会がやってきても

きっと自分が考えたことしか起きていない。

それを経験ながら、また見えるものが変わっていく。

経験は増えているけど、わたしのなかでは、削ぎ落とされている感じ。

 

昨日もおもしろい一日だったなぁ。

 

サントーシマ先生のムーンサイクルヨガを学んで1年後に思うこと。

食べ物を消化するのに時間のかかるカファ体質のわたしは、

出来事や学びについてかける消化の時間もどうやらそういう傾向にあるらしい、とふと思った今朝。

アーサナひとつとっても、わたしが練習する種類が変わってきました。

 

昨年、サントーシマ先生から、アーユルヴェーダのことや女性のためのヨガを体系的に学ぶことのできた、ムーンサイクルヨガ。

 

サントーシマ先生は、アーユルヴェーダについての豊富な知識や経験に基づいて教えてくれるだけではなく、

「ひとりひとり違う体質のように、それぞれがユニークな個性を持っていること」

「天気のようにコロコロ変わり、揺らぎやすい女性のカラダや心についてそれをコントロールしようとするのではなく、ヨガやアーユルヴェーダの叡智を活かすことで不確定のなかでも安定したいという、『人間の小さな試み』である」

というようなエッセンスを惜しみなく与えてくれました。

 

器の大きさ、女性としての美しさなど、そのものを表しているサントーシマ先生の存在。いまもなお、惹かれます。

 

最初に学んだときは、先生のもつ包み込んでくれるあたたかさや、

まさにそう言ってほしかったの〜。。という言葉をたくさんもらって、私自身と向き合うきっかけをもらい、自分にとってもターニングポイントだと感じていました。

 

同時に、いまのわたしでは、まだまだ足りない、あれも学びたいという思いもたくさん湧いてきました。

 

最初にムーンサイクルヨガを学んで1年以上が経ち

そのあいだに、チャクラのこと、声のこと、音のこと、アーユルヴェーダのことなど

気になることは「まずは自分が体験してみる」というスタンスで学びの機会に恵まれました。

 

その時その時の学びは、知識でつめこむような部分も多く、点でしかないけれど

少しずつ経験が増え、時間がかかりながらだんだん消化することで

最初に味わった学びが、『あ、もしかしてそういうことなのかも』というように染み込んでくる瞬間があるのだと感じています。

ヨガのことが知りたくて、自分のことが知りたくて

たくさんの先生や出逢う人や出来事のタイミングから言葉や知識、叡智をもらっていたんだなということに改めて気付かされます。

 

学びの専門的なことを特には意識していなくても、わたしのことをちゃんと支えてくれていたんだということにも、ようやく気がつけます。

 

もしかしたら知識そのものではなく、

それらをツールとして伝えてくれる・表現してくれる在り方に惹かれているのかもしれない。

だからな、、わたしが惹かれる女性というのは、限りなくいます。。(笑)

出逢うたびに「自分に足りない」と思ってしまうのも、それだろうな。。

 

『どうしても、すぐに結果が欲しい』と求めてしまうのは、

わたしのもともとの気質であるうえ、これまでの一般的な社会の教育や時代の流れによって、なかなか拭うことはできない。

だけど、そのことに自分が気づくことはできました。

 

きっと気づいてはまた忘れて、の繰り返しだけど、

「気づきを繰り返すと変化になる」というこれまた与えてもらったわたしの好きな言葉を信じてみたいとおもいます。

 

そのときに感じていることや出来ることは変わっていくし
これまでの学びを活かすことをしたいなぁともおもったので、

「いまのわたしにできること」を、もう少しぐっと握ってやっていかねばなぁと

気を引きしめるのでした。