妹の結婚式 をとおして浮かびあがるもの。

1年のまとめのような、12月。

年内でいったん整理をつけるもの。

引き続いて取り組みたいもの。

新しく動き出すもの。

そんなものたちが次々と生まれていく。

次々と浮かんではくるものの、

結局、ひとつのことにしかきちんと向き合うことができなくなっていく。

急いでレスポンスを出すことを求められることもあるけど、

置き去りになってしまって本質が抜けてしまうことは

とってももったいないことなんだと、最近特に想う。

先週末は、妹の結婚式。

そこで浮かび上がってきたものは、とてもとても綺麗だった。

妹に関わっている、多くの人の想いをみた。

妹との関係性も、様々な人たちの想い。

職場の方、友達、家族、親戚。

妹の「母として」、「父として」、「姉として」。

みんなが、大好きだと改めておもった。

妹に内緒で、当日に渡す、手紙を用意していた。

なにを伝えたいのか、そこを明確にしたくて、

「わたしにとっての妹の存在」をなんども見つめた。

こういう時間をもてたことが、とてもありがたいなとおもう。

届ける機会をくれて、受け取ってくれて、ありがとう。

当たり前すぎる妹の存在。

やっぱり、最後はただただ、「幸せになってほしい」と願うことだけだった。

結婚というなにか出来事をとおして、

ひとりひとりがその出来事から浮かび上がる想いと向き合う。

意識していようが、していまいが、

そういうことの連続で、毎日なにかが生まれているんだろうなと思った。

ただ、そこに在るものを、

「在る」と認めてあげること。

マントラを学ぶこと、音からみてあげることで

出来事のなかにある、「見逃したくないもの」に

どんどんフォーカスできるようになっていく。

ただそこに「在る」ものにフォーカスするから、

光も闇もみていくことができる。

一見、光にみえることのなかにも闇はあって、その闇も光に変えることができると知っているだけで、闇を見る強さがもてる。

ひとつひとつの瞬間を大切にできるわたしでいたい。

見えなかったものを見ることができるようになりたい。

真ん中に寄り添い、真ん中に戻れるわたしでいたい。

2018年1月から、

マントラの音をとおして「わたし」に寄り添うことのできるヨーガの時間を

2ヶ月に一度のペースで開催することになりました*

こちらについては、別の記事でお知らせさせてくださいね。

来年、マントラをとおして、もっと仲良くなれますように。

必要なひとたちと、マントラをとおして学び、ともに成長することができますように。

 

今日のお役目。

1月13日・14日開催の「ナーダヨガフェストOkayama」のフライヤーが届いた。

デザインは、Heart Gathering*を主催するtiko*さん。

出来上がった作品に、ぬくもりと光と愛がたっぷりと詰まっている。

いただいたフライヤーを、「一緒にイベントを作る演者の方に郵送する」という、大切な役割をいただいた。

「ただ、他の人に郵送する」という業務的な感覚ではなく、

作り手のtiko*さんの想いを損ねることなく丁寧に、少しでもはやく届ける、という重要なミッションのように感じた。

贈りものを準備する時間は、豊かな気持ちになる。

業務ではない。

気持ちいいくらいの太陽の光が、窓にかけたオフホワイトの布にキラキラと動いて映る。

梱包して、いざ郵便局へ!と家を出ると、

やっぱり爽快なくらい眩しい太陽さん。

なんども振り返って見たくなるような空。

庭に落ちた葉っぱにもいっぱいの光。黄色と緑、ちょこっとピンク。

郵便局に到着して、次は担当の方へフライヤーの包みを

お渡しする。

大切に扱ってほしいなと願う。

親切な方でよかった。

たくさんの人の手が加えられて、想いが運ばれてまたイベント当日に一歩近づく。

朝からそんなやりとりがあって。

saha navavatuのマントラを想う。

 

このマントラには、

『自分に与えられた力を

全力で使うことを、誓います』

という強い誓いが込められている。

 

長い長い年月を超えて、人から人へと伝えられてきたマントラ。

たくさんの人の手が入るほどに、元々の力、真実であることから、離れてしまうこともあったと思う。

だけど、その人が全力を注いで自分のところにきたものを丁寧に扱うことができれば、その本質から離れてしまうことはないんだと思う。

そんな神さまの一部に触れることができる大切な道具、マントラを
大切に繋いでくれる先生と出逢えたことで
わたしも学ばせていただく機会がある。
 
そのこと自体が、
奇跡のように感じた。

想いがカタチとなり、企画になる。

その企画をカタチにして、フライヤーができる。

「一番最初に生まれた、想い」にどんな形であれ触れることができるという奇跡。

カタチになる前の想いが、カタチになって私のところにきた。

その「想い」を丁寧に繋いでいくことが、今回いただいた役目なんだと思った。

きっとなんでもそういうことなんだと想う。

夏に、おじいちゃんが大切に育てたイチジクの収穫を手伝うとき、そして注文をいただき、郵送するところまでさせてもらったときにも同じことをおもった。

自分のところに来た役割をもう一度、見直してみよう。

きっともっと、丁寧に扱うこともできるはず。

いつでも、マントラは大切なお護り。

**Shiva Ganga Express 2017 秋旅** 北インド古典音楽のライブにいってきました。

11月5日 **Shiva Ganga Express 2017 秋旅**

北インド古典音楽のライブにいってきました。
会場は、anandavana。
訪れるたび、幻想的であり居心地のいい空間で幸せを感じる場所。

第一部は、シタールとタブラ。第二部はサーランギとタブラ。
それぞれ1時間ほどあります。

カラダの細胞ひとつひとつ、もっと奥の方まで届く音色にじっとしていられず、
全身全霊で音を浴びるとは、まさにこのこと。。

高揚感と心地よさで、「わたしもうこの世界に帰ってこれないかも」と心配していました。笑
そのくらい、気持ちよかった!

ことばに言い尽くせず、もどかしいけれど、
ことばを超えた体験だったので、次回機会あったら、もうぜひ、
一緒に体験しましょう。

ライブのあとは3人のインドの小話、大好き。今回は電車編でした*
余韻ただようライブおわり。
わたし、完全なるファン。尊敬しています。

タブラ奏者MAAさんとシタール奏者中山智絵さんとサーランギ奏者オカダケンシンさん。

今年の5月に『五感リトリート』という、
古典インド音楽&ヨガ&キールタン&アーユルヴェーダの食を堪能する1泊2日のリトリートをオーガナイズさせてもらいました。
それ以来の3人の演者さまとの再会でした。

あいかわらず、そして一層、ケンシンさん、ちえさん、マーさんの生み出す世界観がど真ん中すぎます。。

五感リトリートに来てくれていたかたが
今回の古典インド音楽ライブにも来てくれていたり、わたしのなかにもちゃんと余韻が残っていたり、
あの輪っかがたしかに繋がっていたことに、、驚き、おもいがけず感動しました。。

 

ゆかさんのつくるスパイス&アーユルヴェーダのごはんは、カラダに染み込む美味しさ。笑顔もしみたなぁ♡

ごはんもチャイもペロリでしたー。

ゆかさんの料理たまらん!それをじっとみつめる人懐っこいババジ。

古典インド音楽も食も、クセになる。
唯一無二の世界観だとおもっています!

ちえさんが言ってくれたことばも、とっても嬉しかった。。

「五感リトリートや、いろんなことの輪っかって、過ぎてしまえばなくなったようにも感じるけれど、ちゃんと見えなくてもやっぱり<在る>。

みんなやっぱり繋がってるって思える。

ありがとう!また一緒にやれることたのしみにしてる!」

リトリートをオーガナイズさせてもらったことは、初めての経験で、

学んだことがたくさんあって、なかなかうまくいかないこともあったけれど、

やっぱりわたしは「与えてもらっている」。

そのことを再確認させていただきました。

好きなものをちゃんと掴みつづける勇気、神さまがもう一度チャンスをくれているように感じた、Shiva Ganga Express 2017 秋旅でした。

音で旅する体験は、想像以上の体験になるはず。

来年の春頃、五感リトリート、第二弾開催したいなー◎

今年の5月に開催した五感リトリートにて^^

▼五感リトリートのレポートはこちら。

五感リトリート∞レポート①

五感リトリート∞レポート②

うまれたもの、残したいもの

「東山ビル屋上ヨガ」も無事におわり、

五感リトリート以来となった「古典インド音楽ライブ」も堪能していると、

11月がはやくも1週間が過ぎようとしている。

どちらのイベントもわたしにとってスペシャルなじかんを過ごすことができた宝物のじかんになりました。

また改めてことばにも書いておきたいのだけど、

イベントがおわって日常にもどることで気づくこともたくさん。

話が突然ぶっ飛んでしまうけれど、

ヨガであっても、音楽であっても、マントラであっても、

そのほかの産業であっても、そこには共通するものがあって、

その共通するものに触れる瞬間、胸の奥が熱くなって込みあげてしまうことがある。

今日もそんな1日だった。

 

ことばにすることがなかなか難しいけれど

どこかに出してしまいたい感覚。

吐き捨てるのではなくて、たしかに生まれたこの感覚を、なかったものにしたくなくて。

 

自分の気持ちをうまく言葉にできないときに、

誰かがことばにしてくれたことが、そのまま「わたし」へ響いたり、

ずっと前に書き残してくれていたことばが今の「わたし」に響くことはよく起こる。

なんだかんだ、

やっぱりヨガが好きで、マントラが好きで、

だからこそ恐れているんだけど

それもまた良し!ということを思った。

何がツールであれ、そのなかにある「共通するもの」を見ることのできるわたしでありたい。

そこからもらった勇気で、「わたしがカタチにするべきもの」をやっていこうと改めて思った。

 

どこにもいかない、しあわせな誕生日

こんにちは!サーシャヨガのさなえです。

 

最近では旦那さんと『これからのこと、ふたりでカタチにしてやりたいね』とよく話しています。

先日迎えた誕生日の日も、ぎんちゃんが体調を崩していたので、

わたしもお家でゆっくりと過ごすことに。

一晩中つきそっていたチャイ子さん。やっぱり天使か。

ひとり考えものをするための時間が与えられたかのように、

わたし一人であーだこーだと考えていたものの、

いつも聞き役、アドバイス役になってくれるぎんちゃんがいないとすぐに煮詰まったり。

「わたし一人ではなんにもやる気がでないわー」と気分転換の下手さを痛感したり。

朝と夜の時間の使い方は上手になってきたんだけどなーと、言い訳してみたり。

わたしには長過ぎた、ひとりで考える時間だったようです。

 

SNSで、誕生日のメッセージをくれたことが本当に嬉しかった。

ひとりの時間を持てたおかげでたっぷりと時間があったので、

メッセージから浮かんでくることばをみつめ、選び、

丁寧にそのひとを浮かべながらお返事する時間がとても心地よかったなぁ。

 

ことばの可能性をとても感じたし、わたしもそれを信じている。

 

わたしが惹かれるひとや、逢いたいとおもうひとからは、

その人から伝わることばを超えた「なにか」がわたしに反応する。

 

話す「音」になるとなおさらのこと、音になる前の「文字」の状態であっても、反応することがある。

ことばの意味とか使い方だけでもなく、知識が多いとかでもなく、

そこに乗っている想いやエネルギーなのかもしないけど。

裏表のなさ、そんな感じだとおもう。

ことば以上に伝わるなにかがあることは、わたしが動くべきことの、

ひとつの目安。

 

そして一度でも逢ってみると、

さらにそのことばを超えた「なにか」と、わたしとの距離がぐっと近くなるように感じている。

逢うまえに感じたことばと

逢ったあと感じることばの届き方、入り方が変わってくる。

 

そして誕生日の夜、いつものようにひとりの時間をとって、もう寝ようかなと思っていたら、

わたしを導いてくれている大切なおふたりから、音声メッセージが届いた。

 

そのメッセージのことばは、いま、まさにわたしがお祈りをしていたこと

そのままだった。

 

『どうかこれから先、わたしに与えられた力を見ることから逃げず、

その力を使っていくことができますように』

 

おなじことを願ってくれるひとがいること、

その存在に感謝でいっぱいになった夜だった。

 

ひとは、「わたし」を信じることができるようになったとき、

「わたし」を生きると決めたとき

こんなにも強く優しくなれる、ということをわたしに教えてくれた方。

まんなかにあるもの。

 

「お祈りなんて、心の底からできるの?」

「一体なにに願っているの?なにかなるの?」

そんなかつてのわたしが、この状況に一番びっくりしているだろうなぁ。笑

 

ただ、そのままでいてくれること、

そして、わたしがそのままでいることが、

きっと誰かの何かの役に立つと信じている。

 

さてさて、20代最後の1年がはじまってしまった。

大切に、そして丁寧に、生きたいなぁとおもう。

 

結婚5年目、パートナー10年目におもうこと。

ぎんちゃんが珍しく発熱しました。

10月にはいってから、気持ちの変化やエネルギーの変化、

そういったものが大きくてずっと緊張状態にあったからなのかな?

あと急に冷え始めたしね〜。

チャイ子さんが付き添ってくれているので、きっとあったかいでしょう。

 

 

旦那のぎんちゃんとわたしは、よく顔や雰囲気が似ていると言われます。

(今後はチャイ子さんにも似ていきたいなぁ…)

先日、結婚5年目に突入しました。パートナーになってからだと早10年目。

昔はそんなことなかったんだけどなぁ。どうですか?

学生時代。

同じ大学で、同じ学部、同い年のわたしたち。

法律を学んでいたんだけど、、ぎんちゃんは映像やネット関係だし、わたしもヨガを学んでいるし、法律から離れた世界で仕事をしている。

 

わたしの場合だと、

わたしが自分自身の人生の主導権を握れるようになったのは、ヨガをはじめてから。もっともっと言えば、その感覚がたしかにあるなと思えたのはマントラを学び始めてから。

一方のぎんちゃんは、大学でて、自分で事業をやりだしたので、銀行勤めしていたわたしに隣でいつも、「こんな世界もあるんだよ」とそっと見せてくれていた存在。

 

今は『わたしはわたしでいたい』し、

わたしがわたしを生きることが、何よりのギフトであり、学びであり、

そして、大切な人のためだということがわかるようになった。

 

この感覚にたどり着くまでの出来事や過去に対する見方も変わった。

 

わたしを生きることが本当に美しく、というか、

「そうあるしかない」というところにたどり着くことは

ゴールじゃなくて、むしろそこからがはじまり。

いや、ある意味ゴールなのかもしれないけど、

わたしはそこから始めてみたい。

 

当時、自己啓発本を読み漁っていたり、

ヨガやってみようかなぁと思っていたわたしが

なにより掴みたかった感覚。ひとまずスタート地点に立ててよかった。

ほんとに一生かけてもスタート地点にも立てず、ループし続けるかとおもった(笑)

 

ヨガというツールを使ったり、わたしが「ただ逢いたい・行きたい」という想いで出逢ったたくさんの人たちのおかげで、

わたしを照らす基準ができて、だれかが作ったレールから外れたところで本当のわたしがいたりすることに気づく。

 

誰かがつくっていたり、ただ敷かれたレールの上に無意識にいたときにたどり着く先と、

「わたしを生きる」と決めたうえでたどり着く先。

前者のワクワク度と、後者のワクワク度は明らかに違う。

好奇心の発動具合が、まるで別人のよう。笑

なんてわかりやすい指標なんだろう。

だからこそ、「わたしでいたい」と決めた先の世界には打ちのめされることも多い。だけど、そのぶん光はすごい。

大学を卒業してから、お互いが自分のツールで学んで成長し、共有し、足元を照らしあってきた。

そのツールをわたしの好きなように選ばせてくれたことに、心から感謝でいっぱい。

 

めちゃくちゃ理解してくれるけど、わたしと真逆の性質もたくさんある ぎんちゃん。

たとえば、

論理的だったり、緻密に計算されたものに価値を置いたり、仕組みづくりが得意だったり。

「ヨガはもう深過ぎて終わりがないわー」と横でずっと言っているわたしを、ずっと心配していた。笑 

だけど、楽しいのもわかってくれていたから、やり切らせてくれる。

まぁ、でも不思議なもので、深すぎるヨガ研究は続くものの、

わたしも次なるステージにむけて動いてみようという気になっています。

いかにして、「わたしたちはわたしたちでいるか」を社会のなかで実践。。

ひゃードキドキ、だけどワクワク!

光も闇も、神さまからのギフト。それを望んだのはわたし。

いつでも心にとめて、前にすすんでいきます!

 

明日が誕生日なので、ちょっと長めの決意でした。^^

新月のお願いごと

イベントのお知らせも大切な役割のひとつなんだけど、

日記のように残すひとりごとのようなことばも

わたしにとっては大切なもの。

 

9月のマントラ合宿を終えて、

唯一マントラのことをそのままダイレクトにシェアしている大切なひとがいる。

「マントラを学びたい」という想いをしっかりと固めていてくれたこと

「わたしの体験しているマントラ」のことを受け入れる準備をしてくれていること

 

お互いに納得したうえで、プライベートでシェアをしている。

マントラのこと、もったいぶっているわけでもないんだけど、

わたしはまだマントラのことを誰にでも広げたいという段階ではなく、

必要なひとにただわたしの学んだことを必要なタイミングでシェアしたいという段階。

そんなわたしをそのまま受け入れてくれた大切なひと。

 

そんなわたしたちに共通することは、

『わたしのためにマントラが必要』だということ。

 

マントラのシェアの時間は、いつも満ち足りた気持ちでいっぱい。

回を重ねるたびにマントラの秘密を知ってしまって、どきっとする。

頭では理解できないマントラを、「確かなもの」として見ることができるようになっているわたしたちがいることに驚く。

そして、もっとマントラが好きになる。お護りになる。

このお花は、花のなかにも花が咲いていて、

わぁ、まさにマントラの世界。。だとおもってしまって一目惚れ。

 

わたしの目の前に、マントラを必要としているひとが現れたら、

惜しみなくシェアできるように、

今も、これからも、わたしがちゃんとマントラと向き合っていたいなぁ。

 

小さな会でも全然構わないので、キールタンとしてではなく、

マントラと向き合う素敵な時間がつくれたらなぁとおもっている。

 

そんな新月のお願いごと。

 

わたしがわたしであること

『わたしがわたしであること』

9月に参加したマントラリトリート以来、わたしの真ん中にあるもの。それをずっと見ています。

 

わたしはさそり座ということもあって、10月10日に起こる星の動きにも、アンテナを張りつつも、

日々、目の前に起きてくる出来事と向き合っていた。

本当に神さまはいろんなパターンで、いろんな流れでわたしにお知らせしてくれるんだけど、

一撃をくらったようにも見えて

それは必要な一撃だったと受け入れる力が、

わたしのなかに育ってきたように思う。

 

ほんの数年前に読んだことのある本に書かれていることばの、味わい方が変わっていること。

確かに以前よりも、わたしの真ん中へと浸透していく感覚。

逢いたいと思うときに、そのひとのエネルギーを近くで感じられたりすることは、わたしにとってのお護りで、

それは、本当に何も特別な力じゃないんだろうと思う。

だって、わたしにだって、でき始めているんだから。

 

わたしを生きるということの恩恵は

とてつもなく深いものなんだろうな

ということはわかり始めた。

 

痛みも闇も、、強烈に。

だけどそれを「見たい」と望んだのは「わたし」

それを「見るだけの力をください」と望んだのも「わたし」

 

わたし一人頑張っている気になりがちだけれど、

わたし一人でやってきたことなんて

そもそも何もなかったのかもしれない。

 

 

今日は

なんだかラブレターを書いているような気分。

 

チャイたん、眠いご様子。。愛のかたまりな子。

髪を切りました

こんにちは!サーシャヨガのさなえです。

 

今日は、髪を切りに行きました。

切るか、切らないか、数日悩んだ、、、

 

バッサリ30センチ、切ったよ!

わたしの3年分の感情や執着にもさよならした気分です。

 

切る前の写真、直近はこれ。めちゃ笑ってる。

 

なんだか、髪が長いわたしに、自分でものすごく違和感を感じていたここ最近。

ヨガの先生になることを決めてから、毛先を整えることはあっても

ずっと伸ばしていました。

こだわりと、憧れから。

 

なんというか、やっぱり女神のような女性に憧れていて

髪が長くて、直感がさえていて、どこか不思議な魅力のある女性に惹かれることがこれまでとても多かった。

 

誰かになろうとして外見から入ることが多いわたしは、

「よし、じゃあ髪の毛のばそう!」となる。笑

そして、外見がすこし憧れの誰かに近づくことで

わたしもおなじパワーをすこし得たような気がしていました。

 

「髪の長いわたし」にもひととおり、満足したのかな?

 

最近は、

「あれ?わたし、誰かになろうとしてる?」

「なんで伸ばしてるの?」

みたいな違和感。。

切ることで昔のわたしに戻ってしまうような気がしていて、

なかなか切ることができなかった。

 

6月に参加した女性のためのリトリートで、女性の美しさを知ることができて

(髪の毛が長い、短いの次元ではない(笑)、女性のもつ美しさ・母なる存在)

9月に参加した、マントラリトリートでは、

「わたしはわたしと一緒にいたい」という願いに気づき、

外見も中身も「わたしでいたい」と強く願うようになっていた。

 

「理想のだれか」になったり、

「誰かが求めるだれか」になってみたり。

いつのまにか受けている外側からのオーダー。

その一方で、自分でも自分を制限している。

「わたしはこうありたい」というカタチにこだわってみたり。

それが本来の「わたしである」ことから離れてしまうことであっても、そう願ったりしてしまう。

 

わたしの長かった髪が象徴していたものは、

「なにかになろうとしていた結果」だったんだとおもう。

(「髪の毛が長いひと」のことではなくて、わたしの場合のことね)

そのことに気がついてからは、無性にバッサリ切りたくなったんだろうなぁ。

 

これから伸ばすかもしれないし、しばらく短いのかもしれないけど、

それは「わたし」が決めればいい。

ひとまず、古いエネルギーとバイバイできたことはとってもよかった。

 

わたしの髪のお話に、付き合ってくれてありがとう。

はぁ、すっきり^^

いちじくの実。

みなさん、こんにちは!

サーシャヨガのさなえです。

 

9月に入り、ガラリと空気が変わりましたね。

祖父母がいちじくをたくさん作っていて、今まさに収穫真っ只中なのでちょこちょこお手伝いへ。

香川県のまんのう町。

朝晩と昼の気温差が大きいほど、いちじくが赤く綺麗に色づく。

人間の都合、

たとえば、

「平日より土日にたくさん実って欲しい」

とか

「もっと大きな実が欲しい」

とか

そういったことはまったくお構いなく、

自然のままの恵をありがたくいただく。

採っても採っても、毎日綺麗に実ってくれるいちじくを目の前に

『これはもう神さまからの恵やわ…』

と思わずにはいられなかった。

それに、

こんな感覚をわたし自身が感じるようになっていたことにも感謝の気持ちが湧いてきた。

バクティヨーガの道に導いてくれたヨガの繋がりが

全国にあることが奇跡のことのように思えて。

たくさんの人の顔が浮かんだ。

ヨガの道って、本当に人それぞれ。

柔軟に、その人の段階や性質に合わせて、どの角度からでも深めていけるもの。

そして、歩んできた道が、必ずその人の支えとなってくれる。

 

「好きなものがわからない」

「やりたいことがわからない」と悩んでいた頃のわたし。

この期間は本当に長かった。

そこから抜け出したくてがむしゃらに走り出してからも、

少し前まで、

『自分の軸があって、凛としている人』にずっとずっと憧れていた。

 

やりたいことや芯のようなものが見つからなかったのは、

自分の軸ではなく、

他人の軸で示してくれるもののなかだけで選んでいたからなのだろうなと、ふと思う。

わからないなりにでも、動いてみて、少しずつ知らない世界を知って、

わたしにとっての心地よさを知って、自分のなかをのぞく勇気をもって。

その繰り返し。

ヨガは続けてみなくちゃわからない。

もっともっと知らないわたしがたくさんいて、気づいていない闇も光も同時にたくさんあって。

きっと、ずっと続いていく道。

だから、面白いのだけど。

ヨガをはじめてから、たくさんの先生や仲間に出会い、学びの機会をいただいた。

「自分の意志で選んで動いてきた」と思ってしまうことも含まれているけど、

与えてもらっているのだとおもう。

これも、全部、『神さまから与えていただいたもの』。

 

ヨガの生徒さんに、わたしがこれまで与えてもらったのと同じ道を示しても

全部が全部「よかった!」と思ってもらえるのかはわからない。

だから、あくまでわたしは、生徒さんをずっとずっと自分のもとに置いておきたい思いは一切ない。

自由に経験して、その人だけのヨガの道を歩んでいくものだと思っている。

その過程で、関われて一緒に楽しいことや喜びの時間が共有できたら幸せだなぁと思う。

なので、みなさん、自由にヨガしましょ!

こんなにも宇宙は寛容で、両手を広げてくれている。